これは私たちの未来であるかはわからない、無数の世界線のうちの一つのお話。【当然のごとく以下は創作であるので、そのような読みをお願いしたい。】
今は未来、「21世紀も終わろうとしているが、オリエントの果てのオリエントの地で起こった事を述懐しておきたい。」という翁がおったんだそうな。
その翁は、歴史学とは過去に学んで未来に活かすことが本義と思っていたそうな。しかし、あるいきさつから「過去を教訓にできるほどの賢明さを人間に求めるのは過ぎた期待というもの。そうは思わんか。のう。若人よ。」との諦観に至ったんだそうな。
その諦観が妥当であるかはわからない。いや「そうは思わんか。のう。若人よ。」という挑発的な響きに照らすと、実のところ諦観の底の底では、それでも人間の賢明さを信じたいという思いがあったのかもしれない。あたかもパンドラの箱の底の希望のように。
そんなわけで、翁の述懐を以下に記しておこうと思ったのである。
21世紀も終わろうとしているが、オリエントの果てのオリエントの地で起こった事を述懐しておきたい。
大陸側のC国は、海峡を挟んだ先の島であるT地域との制度的な一体化を期していた。他方T地域はC国からの自律性を確保しようとしていた。T地域は国際的には国家として承認されていない微妙な立ち位置にあった。T地域よりもさらにオリエント側にあるJ国は、T地域と比較的親和的であった。
ある時、J国の宰相が、C国がT地域近傍に戦艦を送る場合、存立危機事態となり得るということを表明した。
存立危機事態というのは「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」をその認定要件の1つとするものであり、実のところこの時点では、個別的自衛権に毛が生えたものであった。C国がT地域近傍に戦艦を送るとJ国の「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」というのは、事態認定の論理としては、まさに根底からの跳躍と飛躍と飛翔が明白に必要であった。
しかし、この個別的自衛権に毛が生えたものを、①集団的自衛権と勘違いしている人、②集団的自衛権を行使したいので敢えてそのように理解している人、③違憲であると断ずるために敢えて集団的自衛権と解釈している人が極めて多かったのであった。実務上の法理は軽んじられていたわけだが、むしろ、軽んじられていたからこそ「集団的自衛権」に関する議論めいたものがお化けのように膨らんで、不用意な発言と噛み合わない批判がJ国内では繰り返されていたのであった。
法理を超越する事態認定を、可能性と称してちらつかせるJ国の有様を見て、C国はJ国の本気度を確認するために、様々な外交的な措置を講じた。しかしJ国は「従来見解を踏襲したもの。」との文言を機械的に繰り返すだけであった。それは説明ではなく主張であった。
そこでC国はステージを引き上げる事した。つまりJ国が主張するところの存立危機事態の様態に近い行動をとることで、J国の本気度を確認することとしたのであった。
J国の背後には同盟国であるA国や、価値観を同じくするE連合がいる。J国の憲法の原則には「平和主義」があることから、J国は自らの防衛力のみを頼みにするのではなく、A国やE連合を当てにしようと思っていた。C国の挑発的な行動に対しては、A国やE連合からの支援の温度感を踏まえた上で、従来見解を踏襲しつつ、存立危機事態の事態性を総合的に判断しようとした。
A国やE連合の加盟国は、過去数世紀の間にその絶頂に達したが、帝国主義の崩壊と新興国の台頭により、21世紀は相対的に国際的な影響力が低下していた。そこでA国やE連合の一部の思惑としては、しばらく様子見を決め込み、J国が半ば前方不注意で存立危機事態を認定するようであれば、J国を旗振り役にして、T地域を主戦場にし、台頭するC国の戦力を削ぐ、もしくは分散させることができればよいとの怜悧も働いた。それに比べてJ国といったら、なんだかお人好しであった。
E連合としては、U国とR国が係争中であるところ、E連合にとっての緩衝地域であるU国の支援で手一杯であり、地政学的に影響が小さいオリエントの果てのオリエントの情勢にはそれほど関心はなかった。J国からまがりなりにも支援を受けていたU国も、結局のところ自国のことで手一杯であった。よってE連合とU国は「J国を力強く支持する」という言葉をくれたのであった。E連合はいつも言葉ばかりであり、実行が伴わないことで有名であった。そういえば、世界の創造力はロゴスにあるのであった。そうであれば言葉は最大の贈り物だったのかもしれないが。
A国はJ国の存立危機事態、即ち個別的自衛権の拡張の範囲までは考慮しようとしたが、純粋にT地域内の範囲であれば、C国と直接的な戦火を交える可能性があることには及び腰であった。A国の大統領は現にある不都合な戦争を終結することや自国の利益になる紛争にはご執心であったが、他地域の利益のために自ら戦争を引き起こすような非経済的な軽率さは持ち合わせていなかった。A国を再び偉大にするというのは、A国を自己完結的な経済圏に仕立て上げることであった。そういえば、E大陸には不干渉という時期が昔あった。この時はA国の黄金時代である。
虎の威を借るつもりだったJ国は、かくのごとく肩透かしにあったことから、総合的に判断して存立危機事態の認定には至らなかった。いや、至れなかった。しかし、A国やE連合等からの言葉の援護射撃は取り付けていたので、「国際法に悖ることであり到底認められない」等と見栄を切ってみせた。C国は「そもそもT地域は内国の問題であり国際法の話ではない。内政干渉であり不快」という言葉を機械的に繰り返した。
ここで困ったのはT地域であった。非常に微妙な立場にあるT地域の自律派にとって、J国の当初の発言はありがたいものに映った。しかし、蓋を開けてみると力強い言葉だけがもらえることがわかり、T地域だけが危機に陥っている場合には実質的には戦力支援が得られないことが明白になった。触診を続けてきたC国もそれに気が付いた。そこでC国はT地域に限局して軽微な作戦行動を繰り返すようになった。
T地域はJ国やA国に窮状を訴えるが、J国は従来見解どおり、E連合は最も強い言葉で非難するという文言を繰り返すばかりであった。A国はT地域が自ら戦うのであれば、利子付きで支援する意向を示したが、同時に紛争が続くようであればT地域の一部の権利に制限を加えることと引き換えにC国と取引をする意向も示していた。これらはいずれもT地域には俄かに受け入れられないものであった。
このような動向を経て、T地域の一部の人々は、J国に対して「助ける気がないにもかかわらず余計なことをしてくれた」との所感を抱くようになった。一方、J国を媒介にすれば戦力支援が得られる手筋は残っているという、アグレッシブな考えを持つ者も一定数いた。J国への恨みをJ国利用論に昇華し、J国に再三「これは存立危機事態ではないのか。T地域有事はJ国有事というのは一体何だったのか?」と強く迫ってくるようになった。
J国の宰相はわかりやすく恥辱を厭う性格であった。それは、当該宰相の就任直後、長年連立を組んだ政党から三下り半を突き付けられた時を見ても隠し切れないものであった。
少なくとも検討を進めていることをT地域には示す必要があった。 実は、存立危機事態を認定するに当たって、現行法解釈上「密接な国」の「国」として、T地域を読んでよいかは微妙であった。当初はA国との集団的自衛権を主に念頭に改正されたものであった。国際的に国と承認されていない地域を国と独自に認定することは、勇み足に過ぎる。そこで、密接な国だけではなく密接な地域もこれに含めるための所要の法令改正を行った。
T地域は半ば喜び、半ば懐疑的にその動向を見た。一方、C国は明白なメッセージであると読み取ったが、J国は「従来見解を維持したものであり、文意を明確化しただけである」と機械的に主張した。
そこで、C国は海上演習を名目に、T地域とC国の間の海峡に多数の戦艦を派遣し、長期航行、即ち常駐することを試みた。これに対してT地域は「従来見解はどうなった。維持されていないのか?」とJ国に迫ってくるようになった。一部懸念の声もあったが、「本気度を上げた中でT地域の期待に応えないことは、T地域から失望され、C地域による併合が進む歴史的な転換点となる。」という尤もらしい見立てもあったことから、半ば情動に押し切られる形ではあったが総合判断として、J国は存立危機事態であることを認定した。
事態終結へ向けた戦略を立てる必要があったが、情動に押し切られたことからグランドデザインは明白ではなかった。何とか最低限で切り抜けようとして「T地域海峡からのC国戦艦の撤退」を掲げたが、そのようなレベルで収まるほどC国もT地域も冷静ではなかった。
T地域が至る帰結は、「①C国に併合される」、「②C国に併合されるが限定的に権利を保障される」、「③C国から独立する」が想定された。T地域としては③が悲願であった。しかし、C国の軍事力や、これまでの触診を期に実施された周到な準備の前には現実的な選択肢ではないことは、T地域もJ国も百も承知であった。
そこで、J国は伝家の宝刀を抜くこととした。同盟関係にあるA国に事態解決に係る要請をすることとした。J国が基地負担・財政負担等をしてきたのは、まさにこのような事態のためであり、J国は当然の権利と考えた。しかしA国は、いかにJ国が存立危機事態であると認定したところで、実態としては間接的な脅威に留まっている状況に過ぎないことに懸念を示した。一定の支援はあり得るにしても、積極的な支援に乗り出すことは、C国との関係を考慮すると利益にならないと判断した。
A国としては、所詮は極東の瑣事に過ぎないというのが本音であった。よって、C地域から受ける不利益を凌駕する利益が得られることがT地域やJ国から確約されるのであれば、支援に乗り出さないでもないとはぐらかした。
伝家の宝刀は、抜ける時に抜かなければ単なる錆びた刀でしかなかった。A国としては内心、「①C国に併合される」又は「②C国に併合されるが限定的に権利を保障される」が相場であると考えていた。
次に、J国とT地域は、E連合に支援を要請した。自由・民主主義・人権等といった「普遍的」な価値観を同じくE連合であれば、何らかの支援が得られると考えた。さらにJ国としてはU国の支援をし、E連合の安全保障に寄与してきたという自負があったことから、当然そのリターンがあってしかるべきと考えた。
しかし、E連合は、オリエントで継続しているU国とR国の戦火にも辟易としている中、オリエントの果てのオリエントの地の戦火に関わることを自分事と見做すことができなかった。彼らにとって「普遍」とは、内心、E大陸中心の話であった。20世紀には「世界大戦(World War)」が2回あった。いずれも主たる戦局はE大陸のことであったが、それを「世界大戦」と称する程度に観念上の「世界」は狭かったのであった。
E連合は、理念上はT地域とJ国の自由・民主主義を支持し、C国の権威主義に反対する一方、C国と余計な摩擦を生むことには加盟国間で温度差があったことから、統一的な行動はとれなかった。
よって、例のごとく言葉上の支援を向けつつも、事態の推移を静観することとした。E連合としては、「②C国に併合されるが限定的に権利を保障される」が関の山だろうと考えていた。
当てにしていたA国やE連合の体たらくを目の当たりにし、J国は落胆し、T地域は失望した。J国には自らが主導するような実力はなかったが、成り行きで矢面に立つことなったことから、名実ともにT地域を守ることで腹をくくることとした。
とはいえ、戦力差は明白であり、無謀な戦いであった。その有様を見て、一部の歴史家からは、「20世紀中葉のJ国とA国の戦争の教訓が生かされていない」との懸念の声が挙がったが、「T地域は仲間。仲間を見捨てるわけにはいかない。」という唱道の前では、歴史家の懸念は古かびた反倫理的な言説と受け止められた。
J国は伝統的に美意識が強く、矛盾を裁定する審級が美であることを潔いことだと捉える向きがあった。20世紀中葉のJ国とA国の戦争における航空機を用いた特別攻撃は、A国にとっては狂気であったが、J国にとっては散華であった。その文化心理の根本は、敗戦という事実を突きつけられて出来事を猛省したとしても容易には変わらなかった。戦後を生きることとなった戦中の人間は、出来事を猛省した結果反戦を訴えることになったとしても、戦中にその身を捧げた粋を極めんとする精神そのものを否定されることに対しては、デリケートな感性を有していた。その意味では、深層心理では、J国とA国の戦争の教訓の方がタテマエであり、短慮で美しき人倫の方がホンネであった。
かくして、T地域とJ国としては「③T地域はC国から独立する」を目標とするグランドデザインを採用したが、C国は「①C国に併合される」を目標とするグランドデザインを採用した。この構図は論理的には、どちらかの目標が達成されるまで、無限の運動を喚起する。それは総力戦とならざるを得なかった。
それからどれだけ時間がたっただろう。T地域は焦土と化し、J国もC国も無傷ではいられなかったが、次第にT地域とJ国にとって戦局は厳しいものとなり、人々の不満と政情の不安が高まった。ここに至って、「③T地域はC国から独立する」に見切りをつけるべきという見立てに尤もらしさが出てきたことから、「④T地域を放棄するが、J国内にT地域の住民の自治区を設定し、その自律性を確保する」という方針が措定された。
これを以て停戦交渉の枠組みが形成されたが、J国内のT自治区の存在は、C国、J国の双方の緊張を内包していた。C国としては、場所が変わったとしても起源を同じくする一つの民族であるという自国アイデンティティの観念がくすぶった。また、J国としては、狭い国土にT自治区が設定されるに及んでは、短慮で美しき人倫が機能していた時とは打って変わり、ヨソモノとの観念がくすぶった。T地域からの移住者は、T地域からT自治区になったところで、拠無い感覚が解消されるわけではなかったのである。
・・・とまあこのような情勢であったのであるが、正直、何をどうしたらよかったのか、反省してみてもよくわからなかったのである。それはあたかも、水が一定の幅を持った溝に沿って、高いところから低いところに流れていくかのような成り行きだったのである。過去の教訓もあったはずではあるが、考えれば考えるにつけて、以下のように思わざるをえなかったのである。
「過去を教訓にできるほどの賢明さを人間に求めるのは過ぎた期待というもの。そうは思わんか。のう。若人よ」と。
とまあ、以上が翁の述懐なのであった。「正直、何をどうしたらよかったのか、反省してみてもよくわからない」であったんだそうな。
どうしたらよかったんでしょうかね。若人は。