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2015/10/15
最近こころの調子が悪いなと悩んでいる方やそのまわりの方へ

はじめに

近年、こころの調子が悪いなと悩んでいる方やうつ病などの気分障害性の疾患に罹患する方が増えてきていると言われています。 わたしも、職務の都合、こころの調子と体の調子を壊して、病気休養せざるを得なかった人間です。

病気休養中、わたしが色々とシミュレーションしたり分析したりすることで病気に向き合い、整理したことは、ひょっとしたら、最近こころの調子が悪いなと悩んでいる方やそのまわりの方にとっても役に立つことかもしれないと思い、この記事を執筆することにしました。

わたしは、この記事を、どんな経験をしたのかではなく、どんな実践をしたらよいのかという観点からまとめました。 最近こころの調子が悪いなと悩んでいる方やそのまわりの方にとって、「かゆいところに手が届く」ようなものになっていたらいいなぁという淡い期待を込めています。

以下、目次です。興味のあるところからお読みください。

目次

1. こころの調子はだれでも悪くなる

2. こころの調子が悪くなるのは自分の能力や性格のせいなのか

3. 最近こころの調子が悪いと感じているのだけれども、どうしたらよいか

4. 話を聞いてもらい状況が整理できたが、自分の置かれている状況が変わるわけではない。相変わらずくるしいが、どうしたらよいか

5. くるしい、もう限界。。。

6. 診断書が発行されて、病気休養することになった。いつごろ回復するのか


1. こころの調子はだれでも悪くなる

近年、うつ病、適応障害、自律神経失調症などの気分障害性の疾患に罹患する方が、増えていると言われます。

最近、わたしのまわりでも、「理不尽なプロジェクトに携わるのがくるしい」、「仕事に意味を見いだせないのがくるしい」、「職場ではまともに相談できないのがくるしい」、「このままずっとこの仕事を続けるのはくるしい」など、やり場のない思いを抱え、その心情を吐露される方が、増えていると思います。(※これは、最近、わたしがいろいろな人と対面、電話、メールなどでやりとりした時の話を整理して、あくまで例としてお示ししている心情です。特定の人の心情を特記しているわけではないことを、申し添えます。)

わたしはどうなのかと言いますと、すでに、こころの調子を壊すとともに、からだの調子も壊したことがあります。

わたしは、仕事の都合、いろいろな物事の間に挟まれて、毎日すり潰されるような思いをして働いていたので、その仕事に関わるようになってから割と早い時点で、こころの調子を悪くしました。しかし、「誰もが通る道だし、道にある壁はきっと超えられるだろう」と思い込み、無理をし続けました。その結果、こころの調子だけではなく、からだの調子も壊し、職場に行けなくなりました。この時点で、ドクターストップが出ました。無理をし続けて、9カ月くらい経ったときのことでした。

厚生労働省の直近の調査結果(平成23年)は、明示的にわかっているだけで、およそ100万人の(うつ病などの)気分障害患者がいると報告しています。日本の人口をおよそ1億人としたら、100人に1人は気分障害患者です。実際には、気分障害患者として報告されていないだけで、このような気分障害の症状に悩まされている方は、もっといると考えられています。

これが、「一億総活躍社会」が目指されている現代社会の現実です。

最近、こころの調子が悪いなと悩んでいる方は、「なぜ、自分だけがこんな状態になったのだろう。」と責め立てるようなことではありません。また、そのまわりの方は「なぜ、この人がこんな状態になったのだろう。」と感情的になるようなことではありません。

だれもが活躍することが目指される社会の裏面は、だれもがこころの調子を悪くするおそれがある社会です。スポーツの世界で起こっていることを理解の補助線としてひくと、アスリートはだれしも活躍しようと頑張るわけですが、その中には体を痛めてしまい、ある期間競技に出られなくなってしまう人が出てくるのと、同じことなのです。

2. こころの調子が悪くなるのは自分の能力や性格のせいなのか

こころの調子が良いとき、多くの方は「自分はこころの調子を壊すことはないだろう。」と自負します。しかし、そのような方は調子が悪くなると、きっと、「自分のこころの調子が悪いなんてあり得ない。」と否定します。それは、どこかこころの調子を壊す人に侮りの視線を向けていたのに、その侮りの視線が当の自分に刺さってしまうことに、恥ずかしさやいたたまれなさを感じてしまうからです。そうなりたくないと思っているものに、自分がなってしまうことは、人にこの上ない羞恥を与えます。

自分のこころの調子が悪いことにいたたまれなさを感じ、それを否定しようとする方が、おそらく最初に避難しようとする考えは、「自分の性格や能力に問題があるのではないか。」というものです。これは「自分の性格や能力を改善したら、こころの調子が悪いように感じるのは、一時の気の迷いだったことが証明できる。」という切羽詰まった信念に基づいています。

それでうまくいく場合もあります。しかし、それがすべての解決方法というわけではありません。人によっては、「ストレスに負けないようにセルフコントロール」というあまたの自己啓発が、反吐が出るほど明るく、軽薄で、役に立たない別の世界の言葉のように感じられることがあるはずです。

こころの調子は、自分の性格や能力と、自分の周囲や外部環境とがどれぐらいうまくかみ合っているのかをうつします。

自分の性格や能力が良好で、自分の周囲や外部環境が支援的で協力的なものであれば、心の調子はとてもよくなるでしょう。また、自分の性格や能力に不足するところがあっても、自分の周囲や外部環境が支援的で協力的なものであれば、こころの調子はよくなるでしょう。

ところが、自分の性格や能力が良好なものであっても、自分の周囲や外部環境が、支援的なものでなかったり、協力的なものでなかったりしたら、こころの調子は悪くなるでしょう。また、自分の性格や能力に不足するところがあり、自分の周囲や外部環境が、支援的なものでなかったり、協力的なものでなかったりしたら、こころの調子はとても悪くなるでしょう。

自分のこころの調子が悪くなったら、自分の周囲や外部環境が、支援的なものなのかどうか、協力的なものなのかどうか、という視点を持つことが大切です。こころの調子の問題は、自分と自分の周囲や外部環境とのあいだにある、たくさんの関係の問題だと、受け止めましょう。その問題は、一人で抱え込むには大きすぎるのです。

3. 最近こころの調子が悪いと感じているのだけれども、どうしたらよいか

この問いにたいする、優等生的で模範的な答えは、「一人で抱え込まずに、同僚や友人、親族に相談しましょう。」というものです。間違ってはいないのですが、いろいろと端折りすぎていて、実際に悩んでいたり、困っていたりする人のこころには、残念ながら届かないメッセージだと、わたしには思われます。

「こころの調子が悪いと感じているのだけれども、どうしたらよいか。」と困っている方は、まずは自分の力で、秘密裡に、解決したいと感じているものです。それは、「こころの調子が悪い」と人に話すことは、ふつう、限りない恥ずかしさやいたたまれなさを伴うので、人に相談できる性質のものではないと、強く感じているからです。

このような場合、同僚や友人、親族といった、もっとも関係の近しい人々が、もっとも心理的には遠い人々として感じられます。同僚や友人、親族は、自分の同じぐらいの強度で「この人はこんな人」という固定観念を持っています。なので、同僚や親族の固定観念を揺さぶることは、「自分はこんな人」という自分が自身に対して持っている固定観念(アイデンティティ)を、揺さぶることにつながります。それは、「こころの調子が悪い」と感じて弱っている方にとっては、まさに弱り目に祟り目なので、耐え難い精神的苦痛なのです。

このことを折り込んだうえで書きます。わたしの見立てでは、抵抗感が先の優等生的な回答よりも少なくて済みそうだろうなと思われる実践は、「状況を整理するために、自分に害を及ぼさないと考えられる聞き手の人に、話をしましょう。」というものです。アドバイスを求めるわけではないので、相談ではありません。あまり強い固定観念をもっていなかったり、どんな感情を吐露しても、まずは黙って共感的に聞いてくれたりする人に、ただ、話を聞いてもらうのです。

同僚や友人、親族にそのような「良い聞き手」がいるのでしたら、その人はよい候補者です。できるかぎり、早い段階で話ができるとよいのですが、話すことに伴う恥ずかしさやいたたまれなさの程度は人それぞれなので、すぐに話ができる方とそうでない方がいて当然だと思います。なかなか話ができないと感じている方の場合、「良い聞き手」の人を念頭に置きながらくるしい日々を過ごしていると、ある日たまらなく話をしたくなる日が来るかもしれません。そうなった場合、その成り行きを大切にしてください。

同僚や友人、親族にそのような「良い聞き手」がいない場合は、公的機関などのホットラインに電話することを視野に入れましょう。ホットラインの担当者は自分のことを直接知っているわけではないので、関係が遠い分、心理的には近い(抵抗感が少ない)はずです。

しかし、関係が遠い分、本当に親身になって話を聞いてくれるかどうかは、ホットラインの担当者の力量に依存するように思われます。ホットラインの担当者は、あくまで「職務」として、おそらく(無意味な電話を含む)多くの電話に対応しているので、次のような明快な相談を好むはずです。

「最近こころの調子が悪い。異動してから業務の種類が変わり、不慣れなことが原因の一つだと思う。このような場合、まずはどこに相談をしたらよいか。外部の医療機関に行ったらいいか、それとも、人事担当者に話をしたらいいか。よくある例を教えてほしい。」

つまり、論点を整理するためのきっかけをつかむために話をしたいのに、あらかじめ論点を整理した上で電話をかけることが期待されているということです。それゆえ、ホットラインの担当者によっては、「まずは話をしたいのだが、聞いてくれないだろうか。」という非合理的で痛切な思いを、「話したい内容を整理した上で、再度お電話ください。」という合理的で冷徹な言葉で処理することがあり得ます。

公的機関のホットラインに電話をかける場合は、このようなことも折り込み済みの上で電話をかけるか、自分でなんとか論点を整理した上で電話をかけるかした方がよいでしょう。いずれにしても過剰な期待は禁物です。

私の期待は、こころの調子が悪いなと悩んでいる方のまわりの方(同僚や友人、親族)が、できるだけ「良い聞き手」であってほしいというものです。私の経験的な理解によると、「良い聞き手」である/になるために、普段から、次のことを心がけるとよいでしょう。

(1) 相手の話を遮らずに聞きましょう。
(2) 相手の意見を否定せずに聞きましょう。
(3) 相手の意見に沿った上で、それよりもよりよいことは一体何だろうかという視点を持ちましょう。
(4) 長い目で物事を見るようにしましょう。

4. 話を聞いてもらい状況が整理できたが、自分の置かれている状況が変わるわけではない。相変わらずくるしいが、どうしたらよいか

職場の業務と心の調子の悪さに関連がある場合は、自分の力だけで状況が好転するとは思えません。組織的な支援や協力が必要です。

きっと、関係が近い同僚や上司には話しにくいと思いますので、中立性のある人に相談する方が、抵抗感が少なくて済むと思います。そこで、産業医や人事担当者に、自分の状態やそうなったいきさつを話して、業務の見直しや人事上の措置を含む対応ができないか相談しましょう。

これで解決すればよいのですが、実際には、業務の量が減っても業務の質が変わらなかったり、人事的配慮や教育的配慮の都合で配置転換は難しかったりして、なかなかうまくいかないことも十分あり得ます。

そのような場合は、状況のつらさをともに経験している同僚がいるかどうか、同じ視点でクッションになってくれる上司がいるかどうかが、こころに決定的な影響を与えます。

私の理解では、つらい状況はきっと、どのような職務でも避けられないものです。自分の能力や性格、経験の有無などによって、職務への適応の速さは人それぞれなので、つらい状況に直面して、うまく立ち回れるようになるのに必要な時間も、人によって異なって当然です。

つらい状況にむき出しの状態で曝されると、刺激が強すぎて、立ち回る以前にこころが折れてしまいます。しかし、仲間という緩衝地帯がある状態で曝されると、刺激が少しは弱まって、なんとか立ち回っていけるかもしれません。孤独感をもった状態で仕事をしては/させてはいけないのです。

これは私が期待する組織論ですが、組織体制図に描かれる形で、近しい同僚と上司がいることは、こころが折れないようにするために、とても大切なことです。

最近はどこの企業・団体でも「合理的再編成による効率的かつ機動的な組織運営」といったスローガンが躍り、その結果「人は減ったが業務は増えた」という状況が生まれがちです。それゆえ、組織体制図に描かれるような形で、近しい同僚や上司を配置することは、もはや難しいのかもしれません。そのような場合であっても、組織体制図には描かれないが、近しい同僚と上司がいるような仕事の割り振り方をした方がよいと、私には思われます。組織運営に関わっている方が読まれていたら、そのような視点を持つよう心がけてください。

もし、最近心の調子が悪いと悩んでいる方であって、産業医や人事担当者に業務の見直しや人事上の措置を含む対応ができないか相談したけれども、状況のつらさは根本的には変わらず、状況のつらさをともに経験している同僚がいなくて、同じ視点でクッションになってくれる上司もいないという方であれば、遅かれ早かれ、次のような状態になると思います。それは、最早、どうしようもないことのように、私には思われます。

5. くるしい、もう限界。。。

こうなると、おそらく職場に行けなくなります。無理をせず、産業医や人事担当者に相談した上、診療機関へ行きましょう。病名や治療に関することが記載された診断書が発行されるはずです。その後、治療に軸足を置いた生活を過ごすことになります。

6. 診断書が発行されて、病気休養することになった。いつごろ回復するのか

病気休養して治療に専念する方もそのまわりの方もとても気になるこの問いにたいする答えは、歯切れ悪く言うと「人によって異なる」です。なので、ちゃんとした医師であれば、診断書に記載している休養期間は当座のものであって、必要に応じて見直すというスタンスを取っているはずです。

もちろん、調べれば「○カ月で回復・復職」という情報はちまたに溢れています。しかし、それはある種の人口動態(統計)であって、貴方自身がどうなのかということとは、別問題です。森を鳥瞰すれば目の前の木のことがわかるわけではないのと同じことです。

それでも、目安を知りたいという方もいらっしゃると思います。というより目安がない状態で病気休養して、復職へ向けた訓練をするのは、存外にくるしいものです。そこで、わたしの実感から立てた次の仮説を紹介します。それぞれの方がどんな状況に置かれていたのかを振り返ってみて、各自の目安を立ててみてください。

「仮説:自分が休職に至るまでに無理をしてきた期間と回復に必要な期間には正の相関がある。」

私の場合、こころとからだの調子がともに上向きになって、随分よくなってきたなと実感できるようになったのは、自分が休職に至るまでに無理をしてきた期間(9カ月程度)とおなじ期間が経過したあたりからでした。

人によって無理してきた期間が異なるので、回復に必要な期間も異なって当然だと、わたしは考えています。それゆえ、この日から復職へ向けたトレーニングを開始するとかこの日から復職するなどのように、あらかじめ期限を設けた復職プログラムをつくることは、おすすめできません。

そのつど何ができて何ができないのかを把握しながら、できることの幅を地道に増やしていくことが大切です。そのような地道な取り組みをしてみると、存外に、集中力が続かなかったり、疲れやすかったりして、意欲とからだの調子がかみ合わないことに、自分自身が驚くはずです。そして、本当にもとのような状態に回復するのか不安に感じるはずです。でも、それはそのようなものです。期限を決めず、長い目で物事を見ていきましょう。


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